「退屈」ピーター・トゥーヒー著 青土社
2011-10-24


本書はその題名のとおり、「退屈」について古今東西の文学、絵画、そして科学的研究成果までも盛り込んだ異色の書物である。

本書によれば、退屈には単純な退屈と実存の退屈がある。
すなわち、単純な退屈は単にあくびやひじやまなざしくびなど見た目でわかる状態であり、医学的には神経伝達物質であるドーパミンの不足から生じる現象である。なかには生まれつきドーパミンが不足しているひともいてドラッグや飲酒などの傾向とも関連しているという。

一方の実存の退屈が本書のメインテーマである。
やはり実存といえば、サルトルであり、その文学にも詳細な考察が加えられている。
この実存の退屈こそ、現代人の抱える退屈といえる。

その反例としてアボリジニをあげている。
アボリジニは瞬間の中に存在しようとする能力と意思があり退屈のない世界に生きていた。実際アボリジニの言葉に退屈という語はないという。
ところが、現代文明の様々な労働の軽減にともなって、実存の退屈という状態が生まれた。これは、ヨーロッパ啓蒙主義時代にはじまる。

しかしこの実存の退屈が生まれたから、多彩な文化が花開いたともいえる。
退屈こそ、陳腐になった視点や概念への不満を育てるものであり、創造性を促進するものという。
まさに、「退屈」こそ今の豊かな文化の生みの親である。

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